住むところは決まったけど。。悲しすぎました。
マンションの売却は思っていたよりもスムーズに買い手がついてくれて助かりました。
しかも東京オリンピック前の方が高く売れると言われているらしく、少しプラスの金額で売れたこともありがたかったです。
ですがやはり新築購入してそこで子育てをして、子供が赤ちゃんの頃からのお友達もいて、買い物も交通も全てが暮らしやすかったこの思い出の地を離れることがとても悲しかったです。
幼稚園の転園もそうです。
前にも触れましたが、想い入れのある幼稚園を退園することは親としても悲しいし、子供に伝えたときは大泣きして嫌がりました。
仲良くなったお友達、先生とのお別れは子供心にもつらかったはずです。
親の都合で悲しい想いをさせてしまっているという罪悪感もありました。
そして隣県での家探しは全く楽しくありません。普通戸建てを買うとなると 夢のマイホーム的な方が大半ですよね。不動産会社の方にも事情を説明してあまりテンションが上がらないことをお伝えして失礼のないようにしました。
間取りで考えたことは、悔しいけど、義母が生活しやすい同線であること。
8月中に引っ越せることを考慮して、完成済みの建売物件から探していきましたが、土地勘もないところでの家探しなので、なおさら苦労しました。
建売の戸建ては大体が1階にリビングと和室が一部屋。その和室を義両親の部屋にしてもらいます。
条件に合いそうな物件が見つかり、悩んでいる暇もないほど短期間で契約まで進みました。
契約前日には、私は吐き気がして何も食べられず、自然と涙があふれて衝動的に仕事中のパパに電話をして
まだ間に合う!今ならまだ引き返せる!と、往生際の悪いことをしてしまいました。
楽しかった思い出、お友達との別れ。。悲しすぎました。
この時初めて人生について、人生は一度きりなんて言葉をよく聞きますが本当にその通りだと思い知ったのです。
そんなことを考える余裕もないままにここまで進んできてしまったから。
これまで就職も退職も、結婚も出産も、節目になる出来事は全部自分が納得の上で選択してきたことだけど、今回のことは、やりたくないことを妥協して進まなければならない、しかもこの先何年も。
一度きりの人生がこれか。。。とにかく悲しかったです。
完全同居が決まってから。。いったいどこに住むのか?
悩みどころでした。
もちろん義両親宅へ入る選択肢はなし!
パパの仕事もあるし田舎への引っ越しは考えられません。
今住んでいる3LDKのマンション?
狭すぎます。
いずれにしても引っ越しは避けられません。
子供の幼稚園も変えたくありません。
戸建てを探すにも都内じゃ狭小3階建てばかりで、足の悪い義母が暮らせる造りではありません。
土地を買って二世帯建ててなんて予算的に無理でしたし そもそもマンションどうするのか?
賃貸に出すのか?売却するのか?
問題は山積みでした。
そんなことを夫とあーでもないこーでもないと結論が出ていないうちに、義父から連絡が入り、
田舎の「自分たちが今住んでいる家を売ったから」と言うのです。
驚きました。まだ住むところも決まっていないのに。
その時点で5月。8月末までに出ていく契約にしたそうです。
そうとなってしまっては、同居をする現実に後ろ向きになっている余裕もなく 住む家のことを考えました。
結果、マンションは売却、隣県で2階建ての戸建てを購入、幼稚園も転園となりました。
完全同居に至るまで ③
義母は相変わらず親戚に買わされたサウナのことを恨んでいたし、それを理由に体の動きが悪くなったと病院を転々とし、ドクターショッピング状態でした。
義父は、義母の病院への付き添い、買い物、食事の支度、洗濯。。と疲れ切っていました。
このまま共倒れし兼ねないと思った義父は、パパに同居の話を持ち掛けたのです。
パパから同居の話を聞いた私は、もちろんすぐに了承したわけではありません。
自分の人生の中で同居をすることを考えたことなんてなかったし、頭の片隅にもなく、いまいち現実味のわく話ではなかったように記憶しています。
他人事のような感覚でした。
私はじわじわと自分に降りかかっている話なんだと理解しはじめましたが、義父の方は一歩も引かない姿勢で、狭くても何でもいいから一緒に住んでくれと言うだけでした。
それまで義両親と私はたまにの帰省で顔を合わすくらいで、パパ抜きで会ったこともないし、いつも話にあわせて相づちを打つ程度でした。
耳が遠くて大声でしゃべる義父とは話がかみ合わないし、義母は自分の武勇伝を何度も話す人だったので、どちらかというと長く話すには苦手意識がありました。
それに、孫のために自ら何かしてくれたこともありません。
そんな義父が、一緒に住んでくれるのなら
金銭援助をする、孫の将来のことも考えて習い事等にかかる費用もできる限り援助させてもらう。と言ったのです。
そこまで言われ、あまりに懇願され ついに私たちは折れてしまったのです。
こうして、同居することが決まりました。
完全同居に至るまで ②
義母は要介護認定を受けました。
お風呂とトイレは何とか自分で行けていたようですが 相変わらず義父の負担は減ることはなく、パパにも弱音を吐くようになりました。
同県に住んでいたパパのお兄さんはというと、定職に就かず奥さんとも家庭内別居状態、母親の話し相手になるという名目でおこづかいをもらいに行っていたようでした。
お兄さんのこの話は、義父と義母の会話の声が大きいので聞こえてきて後に知ったことです。
うちのパパとお兄さんは仲が良くないため連絡を取っておらずお互いの状況をよく知りません。
お兄さんが義両親の近くに住んでいるからと安心していた私は大間違いでした。
一方 私たち家族は都内のマンション生活に不便はなく、そこの地で家族ぐるみでの友達もでき、楽しく ごく普通の暮らしをしておりました。
上の子も幼稚園に通うようになり、お友達と毎朝 園バスに乗って行き、楽しく園生活を送っていました。
私たち夫婦も、幼稚園選びにはかなり労力をかけて、激戦の中どうしても入りたかった幼稚園に入園できたことで、想い入れの強い幼稚園でした。
ところが。。年中に上がるタイミングの時に同居の話が浮上したのです。
完全同居に至るまで ③に続きます!
完全同居に至るまで ①
今の同居生活が始まる前までは、都内のマンションで暮らしていました。
上の子が生まれてすぐに分譲マンションを購入し、もちろんそこに永住の予定でした。
当時 義両親は他県に住んでいて、高速を使えば会いに行ける距離でした。
パパとは年の差婚のため義両親はその当時すでに70代。
義母は足が少し悪くて長時間歩くのは厳しい状態でしたが、同県に長男が住んでいることと(パパは次男)義父が病気知らずでとても元気だったため、あまり気にはしていませんでした。
ところが私が下の子を妊娠中 義母が自殺未遂をし、その辺りからいろんなことが狂っていったように思います。
義母は、親戚から買った自宅用サウナの影響で体が動きずらくなったと言い(病院に行っても原因は定まらず)それが苦になり自殺未遂をしたようです。
しばらく入院をしていましたが退院後はますます自分から動かなくなり、義父はせっかちな性格だったため、動作の遅い義母の相手をするのが面倒そうでした。
それに、義母がそんな状態になってしまったため、家事全てを義父が担うことになり義父の負担が増していきました。
義母は自分の話を聞いてもらおうとしょっちゅう息子であるパパに電話をかけてきていました。
私はというと、第二子妊娠中~出産、2人育児の最中だったこともあり余裕がなく、黒い感情が。。。
義母もそれなりに辛い想いはしたのだろうけど、私には同情できなかったです。
完全同居に至るまで ②に続きます!
ブログを始めるきっかけ
こんにちは。
現在 夫の両親と完全同居をしている30代主婦です。
今までブログとは無縁だった私ですが、ここのところ同居によりかなりのストレスがたまり、いろいろな方の同居経験をつづったブログを読ませていただきました。
読んでいると、似たような経験や大変な想いをされている方もたくさんいらっしゃって、共感することも多く、励みになることもありました。
またそのような記事を書いて吐き出すことで自分の中にモヤモヤやストレスを溜めないようにできるのかな。。とも思っています。
私がほかの方のブログ等を見始めたのは最近ですが、もし同居を決める前に見ていたら同居をOKしていなかったかもしれません。
なのでこのブログでは、私のはけ口でもありますが、今 同居をお考えの方に少しでも参考にしてもらえたら幸いです。
子供は現在 年長さんの女の子と
年少さんの男の子 の二人です。
子育てをしながらの同居生活もまた大変なことが多いものです。。。